「働き方改革につながる!精神障害者雇用」第8回 パーソナリティ障害

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【第8回 パーソナリティ障害】
病気か否か問わない
理解と承認が人事の基本

◇人格の問題にあらず
 この連載を始めるに当たり、避けてとおれないテーマがあると感じていた。「パーソナリティ障害」である。障害者雇用の求人に応募する人の中に、自分はパーソナリティ障害だと申告する人はほとんどいないだろう。パーソナリティ障害に対する否定的なイメージは根強い。

 10年ほど前まで、一般雇用の社員の問題行動として相談を受ける中でパーソナリティ障害が疑われる事例がかなり多くみられた。職場で激しい怒りを爆発させて同僚に暴言を吐いたり、白か黒かの二元論で会社を批判して無理な要求を続けたり、尊敬して親しくしていた上司を突然敵視して攻撃するようになったり、過量服薬やアルコール依存、リストカットなどの自傷行為に及ぶ、などといった事例である。

 当時は「人格障害」とか「ボーダー」とか呼ばれ、ちょっとしたブームが始まっていた。それでも、これはひょっとすると病気の症状であって、どうにも止まらずに本人も苦しんでいるのかもしれない、という認識を持つことができなかったら、その言動を表面的に捉えて本人の意図を断定してしまい、会社の過剰な対応を止められず、紛争を激化させてしまったかもしれない。

 ところが、最近“問題社員”として相談を受ける案件は、軒並み、発達障害を疑われる人たちである。ほんの10年かそこらであるが、社会や経済の環境変化や世代の“気質”ともいうべきものの急速な交替に伴い、頻繁に発現する病気や障害までもが入れ替わったというのであろうか。それとも、当時は双極性障害や発達障害の理解が広まっていなかったために、人格障害で説明しようとしていたのであって、病気の診断名や障害の名称が我われの認識を左右するというのか。おそらく、そのどちらの影響もあるのだろう。

 パーソナリティ障害について、一言で分かりやすく説明するのは難しい。代表的なタイプである「境界性パーソナリティ障害」の名称は、かつて、代表的な「精神病」であった統合失調症(当時は、精神分裂病と呼ばれていた)と、「精神病」ではないとされていた「神経症」(当時は、ノイローゼと呼ばれていた。現在の不安障害など)のどちらともいえない境界線上(ボーダーライン)の症状であったために、「境界例」と呼ばれ始めたことに由来がある。誤解されやすいが、通常私たちが用いる一般用語としての「人格」に障害があるという意味ではない。感情、対人関係、社会行動など、社会的に「パーソナリティ(人格)」とみなされる機能が失調している(調節やバランスのコントロールができなくなっている)ために周囲も自分も困っている状態である。治らないわけではないし、治療法がないわけでもない。

 今日では、このような状態は一定期間は持続するものの、適切な治療や時間の経過によって変化し、年齢とともに改善していくことが分かっている。また、大人になる過程で育まれる「愛着」に着目することが有効な支援につながるとの指摘もある。

 ただ、会社では、社員がこのような状態になったとき、上司はもちろん、人事担当者の手にも余ることとなる。周囲は本人の言動に振り回され、感情を乱され、消耗させられる。嫌悪や非難といった陰性感情が湧いてくるのは、人としての自然な反応である。組織としては、すぐにでも排除したい、となりやすいのである。

◇北風と太陽が必要に
 そのようなケースでは、弁護士が本人の代理人として会社に交渉を申し入れてきた場合を別として、筆者は決して表に出ることはなく、陰で経営者や人事担当者の相談に応じながら、過去の書簡やメールのやりとり、エピソードの記録を収集し、本人についてのプロファイリングを徹底的に行ってきた。

 働く人として、その会社の中で起きたどんな出来事へのこだわりを解決できずにもがいているのか――必ずしも、その時に主張されている問題には限られず、むしろ、それとは異なる過去の出来事であることが多くあった――、本人は何をやり残してきたのか、会社は受け止めることを避けたり、伝えるべきことを伝えていなかったりすることはないのか、などである。情報は限られており、本人を診察やカウンセリングしているわけではないから、「妄想」に過ぎないところもあるかもしれない(そのつもりでないと危険である)。

 それでも、経営者や人事担当者と二人三脚で、このような振り返りの作業を共有し、現在進行の書簡・メールのやりとりや本人との面談の内容を取捨選択し、一言一句まで表現を吟味することで、ほとんど全てのケースで本人にも変化が起き、たとえ形の上では退職だったとしても、本人の主体性を尊重しながら、合意による解決に至ることができた。こうした会社側の姿勢や努力が本人に良い影響を与えた部分もあるのではないかと思う。

 代理人弁護士を介した交渉になったとしても、基本的なアプローチは変わらないが、相手方の弁護士が、本人の想いをしっかり受け止められている人の時は大変ありがたかった。その上で、機をみて本人に自身の振返りを示唆してくれる人であると、さらにスムーズな解決につながった。やはり、本人と会社という、当事者同士でのやりとりは難しい。パーソナリティ障害の場合、本人はたった一人で会社と対峙していることが、さらに問題を難しくしている。おそらく、家族が良い話し相手になることもできておらず、それゆえ、会社は窓口となる一人の担当者が、厳しい要求をする“北風”の役割と、本人の存在を認める“太陽”という、2つの役割を果たさなければならないからである。

 だからといって、北風と太陽の役割をそれぞれ2人の窓口に分担させるのでは、うまくいかないことが多い。法人という疑似的な人格ではあっても、会社が丁寧に事情を説明し、自分に対して厳しい指摘と要求をするのと同時に、自分の存在自体を認めて、配慮と期待を示していると感じられて初めて、自分自身のありのままの全体像に向き合う勇気が湧いてくるのかもしれない。「働くことができていたときのことを認めてもらえた」、「つまずいた経緯を理解してもらえた」、「働けなくなっても、きちんと向き合ってもらえた」と感じてもらえるかが、ポイントではないか。こうした姿勢は、すべての従業員に対する人事労務の基本である。

 このようなパーソナリティ障害が疑われる従業員の相談事例から得られた示唆は、精神障害や発達障害を抱える従業員の雇用を成功させるためにも有効なはずである。

弁護士 小島 健一

初出:労働新聞3138号・平成29年11月27日版

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