経営者に必須の法務・財務 リーガル・マインド

 今後経営者は、違法な経営が、いかなる影響をもたらすかを考えるべきである。思いつくままに、取り上げると、次のようになる。山一證券事件やイトマン事件は、違法な経営が会社を消滅させることを教えている。吉富製薬に吸収合併されて消滅するミドリ十字も同様に考えてよい。大和銀行事件は、アメリカ市場を奪われるという影響を受けた。
 ミドリ十字事件の影響は他にもある。1つは、売上高の減少である。1995年に880億円余の売上高が、1997年には710億円に減少している。しかも、PL訴訟を起こされ、240億円の賠償金を第一次提訴の原告団に支払っている。
 この他にも、違法な経営があると、経営トップの辞任は避けられないことが多く、さらに、刑事事件として立検されるとともに、株主代表訴訟等の民事責任の追及がなされる。その上、行政官庁からの処分も加わり、全国規模で指名停止とか営業停止とかがなされる。株式市場との関連では、株価が下落し、格付けも落とされることもある。
 先に述べた影響は、今後、強まることはあっても、弱まることは考えられない。したがって、先に述べた影響を真剣に考えることによって、適法な経営の必要性を実感し、そのための方策としてのリーガル・マインドとコンプライアンスの確立を決意すべきである。
 リーガル・マインドとは、一般的には法律的素養と訳される。しかし、それでは何のことなのか、分らない。久保利英明弁護士の『違法の経営・遵法の経営』(東洋経済新報社)という著書の中では、リーガル・マインドとは、「健全な社会常識、そして時代とともに変化する適法性に関するリスク感覚である」と説明されている。
 ある行為が適法か否かは、本質的には、社会常識によって決まる。適法か否かを枠付ける立法を動かすのは、究極的には社会常識であり、枠付けられた法律の解釈も社会常識によってなされるからである。しかも、社会常識は、時代の流れに適応して変化する。したがって、適法か否かのリスク感覚は、時代の流れに従った社会常識から導かれるものといえる。その意味では、リーガル・マインドを持つことは、法律の専門家に独占されるべきものではなく、むしろ、社会一般人の教養と言ってよい。とくに、社会の指導者は体得すべき必須のものといえる。
 利益供与問題を捉えて、リーガル・マインドとは何かを具体的に検討してみたい。総会屋は明治時代から存在し、昭和56年に商法改正がなされるまで、総会屋に対する利益供与は、違法とはされていなかった。しかし、総会屋の背後に強力な反社会的勢力が控え、総会屋を窓口にして、巨額の資金が反社会的勢力に流れていることから、総会屋への利益供与を阻止することが社会の要望するところとなった。そこで、昭和56年の商法改正によって、総会屋への利益供与は禁止され、その行為をした場合には、6カ月以下の懲役または、30万円以下の罰金という犯罪となった。現実に利益供与をして逮捕された総会担当者は、総会屋の威迫の程度等を考慮されて、ある者は略式命令によって罰金で済まされ、別の者は正式な裁判手続によって、懲役2~4カ月の刑の言い渡し、執行猶予がつくことになった。いずれにしても、利益供与を許さないのが、社会常識となった。
 しかし、その後においても、利益供与事件はなくならなかった。最近の小池隆一事件では、利益供与された金額の大きさに、社会は驚いた。しかも、大企業の経営トップが、利益供与に関与していたのが分り、利益供与罪の法定刑の低さが、犯罪抑止に機能していないことが明確になった。
 その上、海の家事件及びスチュワーデス学院事件等によって、多数の名門企業が利益供与している現実が明らかとなった。これらの事実は、反社会的勢力の資金源を断つという社会の要請に反するものである。
 そこで、平成9年12月に、急遽、利益供与罪等企業犯罪の刑罰を強化する商法改正がなされた。その中で、利益供与罪は、法定刑が3年以下の懲役または、300万円以下の罰金となった。この他にも、利益供与の前の段階で、総会屋が利益を要求しただけで犯罪になるという要求罪が新設された。
 この立法は、まさに、反社会的勢力の資金源を断つべしという社会意識に基づくものである。このような社会意識の変化を考えると、従来、利益供与をした総会担当者は、正式裁判になっても執行猶予が付されたが、今後は、具体的事情如何では、実刑判決が下される可能性が出てくる。
 さらに、先のように利益供与罪を重罰化しても、利益供与がなくならない場合には、社会意識は、さらに強力に利益供与を防止できる措置を求めてくると考えなくてはならない。更なる重罰化も一つの選択肢であるが、一部の実務家が唱えている連座制も視野に入ってくるかもしれない。この連座制は、総会担当者が利益供与罪を犯したときは、経営トップもそれに連座して犯罪者とされることに他ならない。
 いずれにしても、利益供与の犯罪性の有無、さらには、犯罪性の程度の重さ如何とかは、社会の常識によって規定されている。したがって、経営トップは、利益供与に対するこの社会の常識の変化に敏感にならなければならない。これがリーガル・マインドであり、それによって、会社を守り、自らを守ることができるのである。
(文責 鳥飼重和)
株式会社バンガード社 バンガード
平成10年7月号「株主代表訴訟の潮流」より転載

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