さんぽ会 福田洋先生と対談「本当の健康経営とは」(全文掲載)

著者等

小島 健一

出版・掲載

「会社法務A2Z」2022年11月号(第一法規)

業務分野

人事労務・産業保健相談一般

詳細情報

第一法規さまのご厚意により、本記事の全文を掲載させていただきます。

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《特集》  健康経営を考える

  -スペシャル対談-

本当の健康経営とは   ~ 人、企業、社会の持続のために ~

福田 洋(順天堂大学大学院医学研究科先端予防医学・健康情報学講座 特任教授)

 X   小島健一(鳥飼総合法律事務所 弁護士) 

「働き方改革」が叫ばれるようになった矢先に、新型コロナウイルス感染症の流行が襲いかかってきた日本社会。感染拡大によって健康に何の懸念もなく働ける人材が限定されていく一方で、テレワークによる労働環境の劇的な変化で心身の調子を崩す社員も増えている。ところが、いまだに大半の企業は、従業員の健康管理を、すべて自己責任だと切り捨ててはいないだろうか。

働く人の健康を守り育てる産業保健スタッフの交流の場である「さんぽ会」をリードする医師で順天堂大学大学院特任教授の福田洋氏と、人事労務と産業保健をつなぐ予防法務を仕事にする弁護士で鳥飼総合法律事務所パートナーの小島健一氏の対談によって、「健康経営」と「ヘルスリテラシー」というキーワードを軸に、多くの日本企業が抱えるさまざまな課題を持続的な成長へと転換させるヒントが浮かび上がってきた。

—— 産業保健研究会(さんぽ会)での出会い

小島 私は弁護士として、人事労務の紛争解決やコンサルティングの仕事を長年してきました。企業の人事担当者がお客さまです。会社を移籍した外資系人事部長と食事の席をともにしたとき、「そういえば、前の会社では、従業員の健康問題に関するご相談がまったくなかったですね」と質問したところ、「いや、以前は、メンタルヘルス不調やケガなどひどいありさまでしたが、素晴らしい産業医の先生にお世話になってから、従業員の健康問題がどんどん解決していったんですよ。さらに素晴らしかったのが、その先生は保健師と連携して業務しており、これが社員にも大いに評判になり、会社がみるみる変わっていったんですよ」という話を伺ったのですね。その産業医というのが、福田先生でした。

福田 小島先生と知り合ったときのことは覚えていますよ。もう一〇年ほど前のことですね。働く人のメンタルヘルスについての論文が添付されたとても長文のメールが届きましたので、「とても情熱的な方だな」と感銘を受けました。

小島 さんぽ会のメールマガジンを拝見し、これは、どうしても行かなければならないところだと思い定め、福田先生へご連絡したのです。弁護士が参加するのは場違いかもしれないと思って自己アピールしましたら、福田先生をはじめ、みなさん歓迎してくださいました。さんぽ会は、企業で活躍する保健師さんたちの間では知らない人はいないくらい歴史のあるところだったんです。

福田 獨協医科大学名誉教授の武藤孝司先生が、一九九三年(当時、順天堂大学助教授)に、さんぽ会を設立しました。私は一九九五年に順天堂大学大学院(公衆衛生学教室)に入学し、武藤先生に師事し、さんぽ会にも参加する様になりました。これがきっかけで人生が変わったといっても過言ではありません。

小島 働く人が健康に関する正しい知識を学んで身に付けることの大切さを思い知りましたし、さんぽ会に集う産業医や保健師の方々の熱心さと力量に触れたことは、衝撃でもありました。

福田 小島先生は、さんぽ会にとって極めてレアな、弁護士という職種でしたが、すぐに幹事も務めていただくようになったほか、多くの人事や法務・法曹の関係者や社会保険労務士、障害者支援の方々などをさんぽ会へ誘ってくださいました。もともと、さんぽ会には、産業保健に関係する多様な職種や立場の方々、さらに医学部や看護学部の学生までもが参加しています。「どうすれば社員が健康になるか」、ひいては「どうすれば会社が良くなるか」を、多職種が同じ土俵で語り合える貴重な場です。最初はメールマガジン読者が二〇〇人ほどだったのが、現在は一万人近くになっています。

—— 産業保健に熱心に取り組む産業医や保健師は増えている

小島 ところで、福田先生はどうして産業医を志したのですか?

福田 私は医師になってもうすぐ三〇年になりますが、初めは臨床医としてキャリアをスタートしました。そのころに直面した、糖尿病患者に対する患者教育の難しさが、産業医を志す最初のモチベーションです。「こんなに一生懸命に生活習慣改善を指導しているのに、患者さんの血糖値がなかなか下がらない」というフラストレーションが、「人の行動を変えるのは難しい」という気付きにつながりました。そもそも、糖尿病患者全体のうち、約半数しか病院に行っていないという事実があります。「残りの半分の人々に会いたい」と思い、産業医になって自分から会社に会いに行けばいいだろうと考えたのです。

小島 さんぽ会の月例会に初めて参加したときのテーマが、がん治療と仕事の両立支援でした。私の母もちょうどそのころ、末期がんの宣告を受けていましたので、身につまされました。母は、ずっと健康で、パート勤務の仕事をいくつも渡り歩いていましたが、勤務先で健康診断を受けていなかったんですね。仕事から引退した後も、健康診断を受ける習慣がありませんでしたから、症状を見逃したり、勝手な思い込みをしたりしてしまう。私は、仕事柄、メンタルヘルスの知識はあったので、母が認知症かうつ病かもしれないと思って精神科の受診を促していたのですが、実際には大腸がんの出血による貧血が原因でめまいや意識消失が起きていたのです。すべての人が自分や身近な人の健康を適切にマネジメントする基礎となるヘルスリテラシーの重要さ、それを働く場で身に付けていく大切さを思い知りました。

福田 それから、誤解を恐れずにいえば、かつて産業医は、意識の高い一部の方を除けば、臨床を引退したか、臨床が不得手な医師が多いといわれたこともありました。しかし、今では片手間にはできないほど産業医の役割は高度化し、ニーズも高まっていると思います。最近では、若手医師や臨床医にも、産業医学に関心や熱意のある医師は確実に増えている印象です。

小島 あとは、もっと多くの保健師に産業保健師を志してほしいという気持ちがあるのではないですか?

福田 看護学部でも、卒後はその大多数が病棟や外来などの病院での臨床業務に従事します。以前は看護大学では、看護師と保健師の資格を同時に取得する方が多かったのですが、一〇年ほど前から保健師課程は選抜制となり、資格取得の難易度は上がりました。さらに保健師の資格取得者の多くは行政に就職するため、企業に就職する(企業で働く)産業保健師はかなりレアになります。一学年に一〇〇名いたら一、二名でしょうか。さらに卒後、いきなり産業保健の道に進むべきかどうかも意見が分かれるところです。私は、企業のニーズや臨床の経験・視点の重要性から、少なくとも二〜三年は臨床で経験を積んでから、産業保健師になることをおすすめしています。

—— 孤軍奮闘する健康の専門家たち

小島 保健師のみなさんも、もっとさまざまな企業に入ってほしいですね。

福田 保健師について、学生に「先輩や家族で、企業に所属している保健師を実際に知っていますか?」と質問すると、誰も知らないわけです。教科書では習うものの、まるで都市伝説のようになっているんですね(笑)。しかし、産業医や保健師の実際の仕事ぶりを伝えると、さんぽ会に興味を持ってくれる学生もいます。さんぽ会には、企業や健康保険組合に所属する保健師がリアルに数多く参加しています。熱意を持っている方が多いですから、刺激を受けてくれていると思います。

小島 私がさんぽ会に参加したときの一番の驚きは、保健師さんや看護師さんの能力の高さでした。元気で情熱的な専門家たちです。看護職の力をまざまざと見せ付けられた思いです。私がもし会社を経営するなら、営業職として雇いたいくらいです。

福田 産業医のパートナーとして、保健師さんは非常に頼りになる存在です。

小島 しかし、実際には、各企業で保健師さんは孤軍奮闘していらっしゃるし、中には、初めから「あなたは何もしなくていい、余計なことしなくていいから」なんて会社の人事にいわれてしまうこともある。そんな状況下でどのようにして、自分の価値や存在感を会社や社員に認めてもらうか、常に闘っているんですね。労働者五〇人未満の小規模事業場であれば、産業医の選任義務はないけれども、その底力を考えれば、保健師や看護師を雇ってもいいと思います。

福田 産業保健や、その専門家の価値はなかなか世間に伝わりづらいです。一例を挙げると、知人から専門の予防医学や産業保健について相談されることはほとんどありません。実際は「体調が悪いんだけど、どうすればいい?」「母親が倒れたのだけど、どうしたらいい?」「コロナっぽい発熱なんだけど、診てもらえる?」というような臨床の相談がほとんどです。

小島 実際にどこかが痛かったり、立って歩けなかったりする症状が出ないと、なかなか医者を訪ねようとしないのは、個人も会社も一緒なのかもしれません。

—— 産業保健は肩書ではなくマインドで

小島 資格として、看護師と別に保健師がいる理由もよく聞かれるのですが、やはり会社からの健康経営に関する相談に乗ることができるのが保健師ということでしょうか。

福田 そもそも看護職には、看護師、保健師、助産師がいます。私がある企業で、一緒に勤務した優秀な産業看護職の方は助産師さんでした。その方は、労働衛生コンサルタントにも合格されているような素晴らしい方だったのですが、医師の立場からみれば、資格の違いよりも、産業保健に携わるマインドを重視します。

小島 保健師さんは公衆衛生のことを理解していますから、より大局的な視点から取り組んだり、データを分析したりするアプローチには長けていると思います。ただ、企業の経営者からよくいわれるのは、「前線で一緒に闘ってくれる、衛生兵のような産業保健スタッフにきてほしい」というのも本音なんですね。ビジネスの現場で実際に倒れる社員を助けられるような、臨床の医療や看護に対応できる力も非常に求められていると感じます。一方で、産業医や保健師・看護師を活用する企業はなかなか増えないという実態があります。

福田 資格の区別というよりも、企業にどこまで認知されているかの問題だと思います。よく知らない産業医や保健師に、大事なことを相談しようとは思えません。つまり、社員の方々に顔を覚えていただくことが大事です。産業医が月一回のペースで訪問していた会社に、保健師が週二回のペースで訪問するようにしたら、相談件数が一気に増えたというケースもあります。

小島 営業でもそうでしょうが、やはり対面の回数を増やすと信頼感も増しますね。

福田 保健師が顔を売ることができると、社員の方々に「こういう相談窓口があるのか」と認知されますし、頻繁に保健師に会いにきたり、相談事をきっかけにファンになったりする社員さんや社長さんもいらっしゃいます。そういう積み重ねがあってこそ、健康経営に関する話にも耳を傾けてもらえるようになりますし、やがて「保健師さんを正式に雇おうか」「二人目にもきてもらおうか」といった話にも発展していきます。

小島 身近なイメージが良いのかもしれませんね。本当の意味で健康経営、ヘルスリテラシーを達成するには、企業に産業医が月一回から二回訪問するだけではなく、保健師さんの存在が重要になりますね。それに現実問題として、お医者さんほどに高額な報酬ではないので、企業にとっては保健師さんにはきてもらいやすいです。

福田 保健師には、産業医とは別の役割で、身近な距離感で深く入り込んでいき、気軽に相談でき、いろんな異変を早期に発見できる、保健師ならではの企業との関わり方もあると考えています。

—— 健康経営の最終目標

福田 健康経営の理念は、少子高齢化や労働生産人口の減少など、「日本はこのままではマズい」という問題意識、圧倒的な危機感から出発しています。もはや子ども以外、みなが働かなければ、日本の経済が保てないところまで追い込まれているわけです。「健康経営」は厚生労働省でなく経済産業省が推進しているところが重要で、企業の生産性を上げるために必要な労働力を確保し続けることが最終目標と考えています。

小島 真の意味で健康経営が普及すれば、日本経済も変わるでしょうね。

福田 ですから産業医や保健師は、「お腹が痛いときの保健室」のような、企業の中での隔離された存在ではなく、経営層にも意見がいえる関係性が望ましいですし、経営者も「社員の健康に先行投資する」という姿勢が求められます。社員が元気だからこそ、会社も業績を上げられるのです。もちろん、人事労務の方々の意識改革も必要かもしれません。そのために「健康経営」や「ヘルスリテラシー」といった、印象に残りやすく、経営層、人事労務と産業医や保健師が一緒に頑張ることを示すキーワードが、社会へ広く行き渡っていくことが重要になります。

小島 何もない段階から保健師さんが企業に入ることが大切なのでしょうが、多くの企業は「何か起きてからでいいや」と思ってしまいがちですね。

福田 産業医や保健師の側では、あえて「待つ」という姿勢も重要です。「何かを変えたい」「役に立ちたい」という気持ちばかり先行すると、企業のみなさんがむしろ白けてしまいます。メンタルヘルス不調者の復職や社員への病院の紹介など、「何に困っているか」というニーズを知ることが先です。そして、いざというときに対応できるよう、知識や人脈などの面でしっかり準備しながら待つのです。

小島 中長期的なスパンで待つ方が、結果的にはうまくいくということでしょうか。

福田 はい。産業保健の取組みが進んでいない企業では、目先の課題が解決すれば、それで終わりという場合がほとんどだと思います。一方で、産業医の視点からは種々の課題がみえています。私の経験ですが、平均年齢が高く、社員の九割に健診の異常が認められる企業がありました。前任から引き継いだ産業医の仕事は、月に一回、健診データの悪い社員に電話をすることでした。そこで私は、三カ月以内に倒れるおそれがある社員のリストを作成したところ、実際に脳梗塞などで倒れる人が複数発生し、そのうちの一人が不幸にも亡くなったのです。それで社長がようやく危機感を持ってくださり、衛生委員会の定期開催、職場巡視、安全配慮義務による受診勧奨などの取組みにつながったことがありました。

小島 企業の人事や総務、そして経営層にとって「保健師さんが職場にいる」「産業医が身近にいる」ということ自体が財産だと思います。例えば、不祥事が起きたときに、われわれ弁護士が大規模な聞き取り調査をして原因を究明したりすることもありますが、本当は、潜在的リスクが火を噴いて顕在化する前に、平時から不祥事の芽を摘んでおくことが重要です。

—— 中小企業と健康経営

福田 普段は健康に対して関心が低くても、社員が倒れたりすると、やはり健康の大切さに気付き、健康経営に対する関心が高まったりするものです。健康は失って初めて気付くことが多く、わかっちゃいるけど変えられないのが人間です。大学で臨床をしながら、企業で産業医も務めるのは大変ですが、医療に対する世の中の強いニーズは臨床にあると思っています。ですから、私は常に臨床と予防(産業医)のはざまで仕事をしているのです。

小島 私がさんぽ会を気に入っている点も、まさにそこです。臨床を重視していながら、働くことに徹底して寄り添う姿勢をみせている。医療者としての矜持を大切にしていらっしゃるんだろうなと感じます。『会社法務A2Z』の読者は、中小規模の企業の経営者や社員の方も多いと思うのですが、中小企業の健康経営は、どのように進めるべきでしょうか。

福田 さんぽ会でも中小企業の健康経営について議論してきました。リソースもマンパワーも限られる中小企業で、大企業と同じことはできません。中小企業では、「健康経営をやろう」という旗印の下で取り組むのではなくて、社員のことを第一に考えた結果、健康経営とほとんど変わらないものになった、ということでよいのです。例えば、全社員の誕生日を覚えていて、バースデーカードを贈るような社長さんがいらっしゃいました。そんな社長なら健診結果もよく覚えているんですね。「血圧が高いといっていたが大丈夫か?」と声をかけることで、社員の健康状態に改めて意識を向けさせているのです。

小島 自然発生的な健康経営もいいですね。

福田 ある運送関係の会社では、始業前に酒気帯びの有無の確認のための点呼を行うわけですが、その際に併せてドライバーの体調(体重や体温など)を確認するようになったことが、結果として健康経営につながっているとお話しされていました。コストをかけずに、安全への取組みが健康にもつながった例で、「社員を大事にする」という基礎的なマインドがあれば、十分にできることだと思います。

小島 弁護士である私の本拠地も、福田先生のような産業医と同じく、企業の人事労務の現場なんですよ。一人でも多くの人々に、より良い職業人生を送ってもらいたい、会社もより良くなってもらいたいと思うからこそ、生身の社会人の悩みや声を聞きたい。それをサポートしている産業保健の方々ともつながりたいと思っていました。中小企業の経営者のみなさんにとっても、会社をより良くしたい、自分が倒れたらマズい、社員が倒れたら大変だという思いは共通していると思いますので、さんぽ会の理念を届けて、産業医や保健師が経営者から積極的に活用される社会になればと願います。

—— コロナ禍と産業保健

小島 コロナ禍によって、社員の健康に対する会社の危機意識も、だいぶ変わったのではないですか。

福田 実は、新型コロナと産業保健の関連は早く、病院は二〇二〇年三月末から発熱外来や専用病床の設置等で忙しくなりますが、企業からは二〇二〇年一月の時点で、種々の相談がくるようになっていました。それ以降、どんどん状況が変わりますので、衛生委員会や健康講話等で新型コロナの話をしなかった日はないぐらいです。やはり緊急事態宣言・まん延防止等重点措置、在宅勤務、テレワークが続くと、人々の働き方や生活への影響は大きく、在宅勤務の健康影響は一つのトピックで厚生労働省の研究班も立ち上がっていますし、それに伴ってウィズコロナの産業保健は大きく変わったといえると思います。

小島 久しぶりに会うと、コロナ太り? という人もあちこちでみかけますね。

福田 特に生活習慣への影響が大きかったのが運動で、緊急事態宣言下では約二〇〇〇歩、歩数が減少し、座位時間が増えることがわかっています。在宅勤務でも座りっぱなしにならないことが重要で、三〇分に一回は立って動く(ブレイクする)ようアラームをかけたりするのが効果的ですね。また、新型コロナとメンタルヘルスの関係についても、論文がたくさん出ていまして、平均して二割ほどの方で、抑うつと不眠が増えるとの研究結果が示されています。これらを踏まえて、ウィズコロナの産業保健では、今まで事業所で行ってきた三管理(作業環境管理、作業管理、健康管理)を、自宅に拡げていくということが重要と思っています。

小島 未曾有の事態に対応するため、さんぽ会も貴重な情報交換の場として機能しましたね。

福田 ええ、コロナ禍によって月例会に集まることが難しくなってしまいましたが、緊急事態宣言中の二〇二〇年五月には、「企業の新型コロナ対応」というテーマで月例会をオンラインで行いました。各社の「マスクがない」「消毒液が足りない」などの困りごとを共有し、ほかの会社の対応や良好実践について情報交換することができ、前例のない事態にもさんぽ会は役に立てたと思います。在宅勤務、テレワークの導入や健康影響に関しても、他社の事例を知ることができたのには意義がありました。

小島 そもそも、何らかの制約があることはイノベーションの種にもなります。心身の不調や障害、家庭の事情などで仕事への制約があるからこそ、職場の課題とその解決策への気付きとなることもあります。企業がいかにそういった種を経営に取り込めるかが問われます。社員の脆弱性と全体性に正面から向き合わざるを得なくなったコロナ禍は、経営を見直すよいきっかけになったと思うんです。

福田 そうですね。会社も、従業員の健康課題の把握、従業員への健康教育・支援などの土台作りをどれだけできていなかったかと実感させられた時間だったのではないでしょうか。一方、コロナ禍では一気にZOOMなど新しいコミュニケーション手段が普及し、それらを用いた健康教育や保健指導、面談も一般化しました。デジタルヘルスリテラシー、デジタルヘルスプロモーションも推進されました。こういった新しいチャンレジも含め、経営を維持する大変さを支えてくれたのが産業医や保健師であったことも間違いありません。

—— 健康経営の「光と陰」

小島 私は経済産業省が「健康経営」に注目してブームが始まったとき、「病気や障害のある社員は置いていく」というムードになるおそれや、健康な人材のみ選び取るような採用につながるおそれがあるのではないかと、危機感を覚えました。さんぽ会のメンバーに対しても、「健康ファシズムみたいにならないよう、気を付けてね」と冗談まじりにいったことがあります。もちろん、健康経営に一生懸命取り組み続けている会社は、そんなことを考えてはいないはずですが、社員の健康に経営として取り組むということを履き違えると、効率性や投資対効果だけで自社の人材を評価してしまいかねないと危惧しています。

福田 おっしゃるとおりで、病気がないことが健康なのではなくて、たとえがんや糖尿病があって闘病中の方でも、その人生の目的を目指して行動していける状態、いわゆる両立支援が重要です。病人や患者として接するべきではない人を、会社がそう決め付けて扱ってしまっていないか。職場によっては健康の捉え方を根本的に見直すべきケースもあります。

小島 企業は、そのスキルやパフォーマンスだけで人材を評価しがちですが、生身の人間である以上、その心と身体を常に使って働いていることを無視できません。ですから、休むべきときは休ませるのはもちろん、そこで働くことで健康になるような会社にする、それが健康経営のはずです。

福田 ここで、まさに「ヘルスリテラシー」が関わってきます。

小島 これから高齢者や障害者、女性を積極雇用していく上ではもちろん、家庭責任を分担し合い、仕事によって私生活が犠牲にされることを是としない若い世代の価値観を直視すれば、「二四時間バリバリ元気に働ける」ことを理想的な人材と位置付けることは、もはや妄想でしかありません。また、女性が必ずしも弱いわけではありませんが、やはり母性の制約や特有の病気のリスクがあります。多かれ少なかれ、誰もが健康の制約や家庭の責任を抱えているのですが、その上で、誰もが仕事に没頭できるように、その力を発揮できるようにするには、どのような支え方をすればいいのか。つまり、健康経営とダイバーシティ経営が、車の両輪になるはずです。

福田 そうですね。それに「健康経営」をめぐる社会の現状は、積極的に称賛すべき側面ばかりではありません。一例を挙げると、健康経営優良法人の認定基準では、産業保健では基本的なことですが、作業環境管理や作業管理などの安全に関する視点が希薄という指摘もあります。熱心に取り組んできた産業医や保健師の立場からは「何を今さら」という感想を抱く方もいるかもしれません。

小島 つまり、ずっと産業保健活動で取り組んでこられたことと、昨今の健康経営は何ら変わらないということなのでしょうか。

福田 まったく変わらないというと語弊がありますが、安全と健康(ヘルスプロモーション)が車の両輪という取組みの本質は変わっていません。一方で企業の側からいえば、多くの中小企業にとっては、新しく健康経営を始める余裕を持ちづらいのは事実です。また、大企業でも健康経営銘柄の取得チームは盛り上がっていても、社員の健康意識は低いままで、銘柄選定や優良法人認定だけが目的化してしまうことを危惧しています。

小島 健康経営にも「光と陰」があるということでしょうか。そもそも健康経営銘柄がブームの口火でしたね。

福田 東京証券取引所の上場企業の中から、健康経営に優れた企業を選定したリストで、二〇一四年に始まりました。健康経営銘柄は東証株価指数を上回る価格上昇をみせており、一ドルの投資で三ドルのリターンがあるといわれるほど投資家に注目されています。さんぽ会でも二〇一八年に「健康経営の光と陰」というテーマで夏季セミナーを行い議論しました。大企業が光で中小企業が陰ではなく、大企業にも陰はあるし、中小企業でもキラリと光る良い取組みもあります。

小島 社員が自分の体調や健康状態をマネジメントすることは、会社に対する責任であるとともに、家族に対する責任でもあります。

福田 そうですね。仕事とプライベートの両面において健康が不可欠だとして、重要なのは、どのようにして社員の行動変容をうながすか、行動を変えてもらうかということです。自分を知って、自分で気付いてもらうきっかけを与えることでしか人は変わらないと私は思います。健康のために自分の行動を変えられた人は、転職したり定年退職したりした後でも、その良い影響が持続していくはずです。

—— 誰もが強みを活かして輝ける社会へ

福田 企業がしっかりと社会で受け入れられる商品やサービスを生み出していくにあたっては、そこに働く人々も健康でなければなりません。医師の立場としては、病院の中にいるだけではそうした企業経営にはほとんどタッチできないのですが、産業医なら貢献できます。実際に会社の中に入ると、いろんな面で役に立てるなと感じます。産業医学や予防医学のマインドと臨床現場で感じる命の重さや疾病の生の情報がうまくかみ合うと、健康経営に大きく貢献できるのではと思います。

小島 健康経営の将来像としては、ありとあらゆる人がヘルスリテラシーを身に付ける機会を得ることを望んでいます。資金が潤沢にはない中小企業でも、健康経営を諦める必要はなくて、基本的なところを学んでいただいた上で、社員のために何ができるのかを考えて実践すれば、それが自然と健康経営に近付いていくものだと思います。それが一〇〇〇社、一万社と増えていけば、日本経済にとって大きな力になっていくものと信じています。

福田 健康経営は、企業経営にとって決して欠かせない要素の一つになっています。むしろ、健康経営という言葉がなくなるぐらい、当たり前のこととして浸透してほしいと思います。また、会社で働く方一人ひとりも、「会社からいわれて健康管理をする」と堅苦しく考えず、自分の健康を保つことは、働くことそのもの、生きることそのものだと捉えていただきたいです。

小島 業績や仕事のことばかり考えていると、働いているのは生身の人間であることが意識から抜け落ちがちですね。経営者も、従業員も。

福田 企業規模にかかわらず、社員と組織のヘルスリテラシーが高い、そんな企業が増えてくれるといいと思っています。生まれてから亡くなるまで一貫して、自分や自分の大事な家族、同僚の健康に関心を持てる、そんな世の中になってほしいですし、その方向で学校教育も変わってほしいですね。たとえ障害や持病があっても、自分の強みを活かして働けて、その強みを会社が戦力として採り入れるのが当然の社会になってほしいです。

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● 福田 洋(ふくだ・ひろし)

順天堂大学大学院医学研究科先端予防医学・健康情報学講座 特任教授

専門は予防医学、総合診療、産業保健、健康教育・ヘルスプロモーション、ヘルスリテラシー。1993年山形大学医学部卒業、1999年順天堂大学大学院医学研究科(公衆衛生学)修了、2011年ミシガン大学公衆衛生大学院疫学セミナー修了。東京・八重洲総合健診センター健診部長、順天堂大学医学部総合診療科講師、先任准教授を経て2020年より現職。産業衛生指導医、人間ドック健診指導医、日本プライマリ・ケア連合学会認定指導医、社会医学系指導医、労働衛生コンサルタント、公衆衛生専門家。さんぽ会(産業保健研究会、http://sanpokai.umin.jp/)会長。近著『ナッジ×ヘルスリテラシー-ヘルスプロモーションの新たな潮流』(共著、大修館書店、2022年)

● 小島健一(こじま・けんいち)

鳥飼総合法律事務所 弁護士

人事労務を基軸に、問題社員処遇から組織・風土改革、産業保健、障害者雇用まで、紛争予防・迅速解決の助言・支援を提供。1991年東京大学法学部卒、1994年弁護士登録(第二東京)、2003年牛島総合法律事務所パートナー、2017年鳥飼総合法律事務所パートナー、2020年日本産業保健法学会(https://jaohl.jp/)理事。労働法務、人事労務と産業保健を架橋する諸活動に加え、働き方改革、健康経営、精神/発達障害の就労、治療と仕事の両立などの執筆・講演も多数 —— 連載「人事労務戦略としての健康経営」(「ビジネスガイド」日本法令・2016年10月~)、連載「働き方改革につながる! 精神障害者雇用」(「労働新聞」労働新聞社・2017年10月~)等

【初出】「会社法務A2Z」2022年11月号(第一法規)

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