経営者に必須の法務・財務 朝日新聞社事件における経営判断

 前に取り上げた朝日新聞社事件の4つの視点について、経営判断の原則との照応関係を検討することとする。
 まず朝日新聞社の経営判断には、商法又は刑罰法規に違反するという具体的法令違反はない。これで、経営判断の原則の第一要件をクリアしている。
 つぎに朝日新聞社の取締役は、経営判断するについて、朝日新聞社との利害が対立する状況にもなく、また朝日新聞社の最善利益を考えてのことと思われるから、「会社のため」という第2要件もクリアしている。
 さらに、朝日新聞社がテレビ朝日における主導的立場を維持するについて、ソフトバンク側から株式を買取る必要性があるとか、その際の株式の買取り価格をいくらにするかとか、その買取り価格が朝日新聞社の資産状態と比較して過大か否かは、経営判断の内容に関するものと言い切ることも可能である。この点に関して、大阪地裁が取締役に広い裁量権を認めたことはすでに述べた。したがって朝日新聞社の取締役の経営判断は、経営判断の3つ目の要件をクリアしている。
 この経営判断の内容に関する経営判断の原則の要件を広く柔軟に認める判例の傾向は、現実の経営判断の実態に適し、妥当なものといえる。むしろ、経営判断の内容の適正性に関しては開示要請が拡大している公開企業にあっては、裁判所が判断を控えて、株価に深い関心を示す機関投資家を始めとして多くの株主の監視・是正に委ねることの方が、経営判断の多様性を広く認める意味で望ましいのではなかろうか。
 最後に、朝日新聞社の取締役のなした株の買取りに関する経営判断が十分な情報に基づいているかについても、プロジェクトチームの検討、取締役会の複数回の開催等の手順を踏み、その過程で相当の情報を得たものと思われるため、裁判所も経営判断の原則の第4要件もクリアしていると判断している。
 いずれにしても、裁判所が形成してきた経営判断の原則が要件化され、そのことによって取締役が経営判断をする際のコンプライアンスの基準が形成されつつある。したがって企業法務の中心は、何が経営判断の原則の適用要件かを認識するところから、いかに目下の経営実践の中で、効率的かつ確実に、取締役のなす経営判断を経営判断の原則の適用要件を具備したものにしていくかの行動そのものに移っていくべきである。
 我々、法律実務家が役員会のあとでコンプライアンスの研修をしたり、様々な経営判断に際して意見書を求められたりすることが多くなっているのも、公開企業で経営判断の適法性を確保する実践が法務部門を中心に行われているからであろう。その意味で、最近は、公開企業の一部に企業法務に関する力強さを感ぜずにはいられない。まだ数は少ないが、我々が取締役会に出席し、コンプライアンスの保全を委ねられることも出ている。
 いずれにしても、企業の中においてコンプライアンスの実績が現実のものとなる最大の要因は、経営トップの意識改革にあることは確かである。経営トップ自身が企業の風土の中に遵法精神を植え付ける必要性を感じなくては、いかに優秀な法務担当者がいたとしてもコンプライアンスは掛け声倒れになり、真剣な実践は行われない。やはり経営トップ自身に、企業の22世紀への生き残りをかけた闘いには、経営の効率性とともにコンプライアンスを基礎とした健全性の確保が不可欠だとの核心を持っていただく必要がある。
 コンプライアンスが十分確立していない日本の現状において、真のコンプライアンスが確立できる企業は、むしろ競争優位に立てるのではなかろうか。なぜならコンプライアンスの中核にあるリーガルマインドは戦略法務の核心部分であり、現実及び想像力に対し、極めて柔軟に対応できるからである。
(文責 鳥飼重和)
株式会社バンガード社 バンガード
平成11年12月号「株主代表訴訟の潮流」より転載

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鳥飼 重和

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