人事労務戦略としての健康経営【第5回】

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人事労務戦略としての「健康経営」(5)
 (初出:「ビジネスガイド」(日本法令)2017年9月号)

弁護士 小島健一

昨年末以来、過労死・過労自殺、「働き方改革」や労働時間規制に関する話題がメディアに取り上げられない日はありません。筆者も、先日、産業医科大学のストレス関連疾患予防センターで、中堅産業医の皆さんに向けて、「過労死等に関する企業の法的責任」について講義する機会をいただきました。その講義内容を紹介しながら、「健康経営」に真剣に取り組むことと企業や経営者の法的責任との関係について考えてみたいと思います。

1 ストレス関連疾患予防センターの「特命講師」

ストレス関連疾患予防センターは、平成28年に産業医科大学に設置されました。平成26年11月施行の過労死等防止対策推進法に基づく「過労死等の防止のための対策に関する大綱」(平成27年7月閣議決定)の中で、産業医科大学が「働きやすくストレスの少ない職場環境の形成に資するために…産業医をはじめとする産業保健スタッフ等の人材育成等の充実・強化を図る」と記されたことを受けたものです。

同センターは、過労死等防止対策を効果的に推進する人材育成を目的とし、具体的には、過労死等予防に関する研究・教材開発を行う他、日本産業衛生学会指導医の資格を有する産業医等に対し過労死等防止に関する最新の知識を付与して「特命講師」として養成し、「特命講師」による一般の産業医、産業看護職、人事担当者等に対する研修や情報発信を支援することになっています。

この「特命講師」養成の研修会において、筆者は、日常、企業をクライアントとして人事労務分野の助言、紛争解決にあたっている弁護士の立場から、過労死等に関して企業の経営者が心得るべきことについてお話させていただきました。「特命講師」が直接、または、その研修等を受けた一般の産業医、産業看護職、人事担当者等が、経営者に対し、長時間労働改革と産業保健の取組み強化の重要性をアドバイスし、その実施をお手伝いするためのツールを提供することが狙いです。

講義のテーマは、①労災認定から損害賠償責任へ、②経営者の個人責任の追及、③安全配慮義務の行為規範化、④合理的配慮提供義務の影響、⑤「働き方改革」の本質、としました。

以下、そのエッセンスをご紹介します。

なお、本稿において「過労死等」と表記する際は、過労死等防止対策推進法における用語の定義にならい、「業務における過重な負荷による脳血管疾患若しくは心臓疾患を原因とする死亡若しくは業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡又はこれらの脳血管疾患若しくは心臓疾患若しくは精神障害」を意味するものとします。

2 労災認定から損害賠償責任へ

まず、万一過労死等が発生してしまった際には、会社の初動が非常に大切であることは、いくら強調しても強調し過ぎるということはありません。

厚労省が平成23年に「心理的負荷による精神障害の認定基準」(平成23年12月26日基発1226第1号)を新たに定め、精神障害の労災認定で長時間労働を重視するようになってから後の顕著な傾向として、過労死・過労自殺の遺族(および、その代理人弁護士)は、被災者に長時間労働の実態があった場合、まず労基署に労災申請をして労災認定を受けた後、会社に対する損害賠償請求(民事訴訟)を提起することが、ほとんど定石となりました。

労災が認定されていれば、民事訴訟において、裁判所も、会社の損害賠償責任を容易に認定することが期待されるからです。民事損害賠償責任の判断においては、会社に「過失」があったことを立証する必要がありますが、会社が業務の過重性や体調悪化を認識することができたと判断されれば、「過失」の認定を回避することは困難です。

もとより裁判所は、行政の認定基準には拘束されず、たとえ労働時間がさほど長くはないと認定される事案であっても、業務の質的な過重性やサポート体制の有無などを広く考慮して総合評価しますし、もしパワハラもあったと認定されれば、それなりの業務の過重性とパワハラによるストレス負荷との「合わせ技一本」で、企業の損害賠償責任を柔軟に認める傾向があります。行政の労災認定基準と裁判所の判断傾向は、相互に影響し合いながら、過労死等への救済の途を広げてきたのです。

したがって、過労死等が発生した場合の会社の初動対応は、以前にも増して重要になっています。労災申請の結果を受けての対応では、もう遅いのです。

さらに、近時は、過労死等の発生は、遺族による労災申請から労基署による臨検監督へと速やかに連動し、企業全体の長時間労働に対して行政の厳しいメスが入る端緒にもなりました。臨検監督の結果、違法な長時間労働の実態が明らかになれば、行政指導としての是正勧告にはとどまらず、検察官送致によって刑事事件とされ、検察官の処分の行方如何にかかわらず、厚労省から、その企業名が公表されることになったことは周知のとおりです。

そもそも脳・心臓疾患の労災認定においては、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準」(平成13年12月12日基発1063号)が発出されて以来、発症前6か月間まで遡る中で平均“月80時間超”の法定時間外労働(休日労働を含む)があると、業務と発症との関連性が強いと評価され、労災が認定される可能性が高いのですが、上記平成23年基準のもとでは、精神障害の労災認定においても、発症前6か月間まで遡る中で平均“月100時間超”の法定時間外労働(休日労働を含む)があると、たとえ、その他の具体的出来事の心理的負荷の程度が労働時間を加味せずに「弱」程度と評価される場合であっても、業務による心理的負荷の総合評価は「強」とされ、労災が認定される可能性が高いことに留意すべきです。

したがって、会社は、従業員が月80~100時間の法定時間外労働(休日労働を含む)というレベル(いわゆる「過労死ライン」)の長時間労働になっていないか十分に注意して労働時間を把握し、会社の方から積極的に働き掛け、産業医等の医師による面接指導を受けさせたり、労働時間を減少させたりする就業上の措置を講じるべきなのです(安衛法66条の8および同9。なお、本年6月1日施行の産業医制度に関する労働安全衛生規則等の改正により、会社は、毎月1回以上、月100時間超の法定時間外労働(休日労働を含む)に従事した従業員の情報を産業医に提供することが義務付けられました)。

ところで、36協定の上限時間を法制化する政府方針として、法定時間外労働(休日労働を含む)の上限時間を単月で100時間未満、2か月ないし6か月平均で80時間以内とする方向性が示されていますので、近年中には、月80~100時間というレベルの長時間労働は、そもそも法的に禁止されることになるでしょう。

もっとも、近く法制化されるであろう、この36協定の上限時間は、そもそも労基法の労働時間規制の対象外とされている「管理監督者」には、適用がありません。裁量労働制の適用を受けている従業員の実労働時間も、このレベルの長時間労働に達することはあり得ます。しかし、このように労働時間規制の適用除外ないし柔軟化がされている従業員についても、過労死等が発生すれば、上述の労災認定基準によって判断されるのであり、安衛法上も、上述の長時間労働者に対する医師による面接指導や就業上の措置の対象者です。

裁量労働制の対象拡大や高度プロフェッショナル労働制の導入の可能性が予想されています。仮にこれらの法改正が実施され、企業が残業代の負担を免れることになったとしても、労働時間把握と健康管理の責任も当然に免れるわけではないことに留意しなければなりません。

3 経営者の個人責任の追及

近時の電通事件では、役員個人の刑事責任(違法な長時間労働による労基法違反の罪)について、検察官送致はされたものの、検察官は起訴を見送りました。しかし、その理由は、嫌疑不十分ではなく起訴猶予と報道されています。「起訴猶予」とは、起訴しようとすれば出来た、ということです。他の企業であっても、今後、同様の事件を起こせば、役員個人の刑事責任が積極的に追及される可能性は高いと予想されます。

さらに、筆者としては、今後、過労死等が発生した場合、役員個人の業務上過失致死傷罪という刑法上の刑事責任が追及される可能性もあると危惧しています。罰金刑にとどまらず、身体刑の刑事罰を問われることもあり得ます。

電通の社長が辞任したことが大きな衝撃をもって迎えられましたが、その程度で済んだのは牧歌的な時代だったと懐かしまれる未来がもう目の前に迫っているのです。

役員個人の民事責任追及は、すでに現実のものとなっています。

大庄ほか事件(一審:京都地裁平成22年5月25日判決、控訴審:大阪高裁平成23年5月25日判決)では、飲食店の調理業務に従事していた入社4か月の新卒社員が、急性左心機能不全により死亡した事案において、代表取締役ほか4名の取締役の損害賠償責任が、会社法429条(取締役の第三者に対する損害賠償責任)を根拠として認められました。判決によると、この会社では、基本給とも言うべき最低支給額中に月80時間の時間外労働が前提として組み込まれており、月300時間を超える長時間労働が常態化していたそうです。この被災従業員は、入社以来4か月にわたって毎月80時間を超える時間外労働(約88~141時間)に従事していたことが認定されました。裁判所は、労働時間が過重にならないように適切な体制をとらなかっただけではなく、一見して不合理であることが明らかな体制をとっていたと述べて、経営陣の任務懈怠を批判しています。

いわゆる「固定残業代」について、裁判所は、厳格な要件をクリアしなければ残業代の支払いとして認めなくなってきていますが、長時間労働やサービス残業を助長する面でも、その合理性が厳しく問われたのです。

サン・チャレンジほか事件(東京地裁平成26年11月4日判決)では、長時間労働と上司たるエリアマネージャーによる継続的なパワハラによって飲食店店長が自殺した事案において、代表取締役に会社法429条に基づく損害賠償責任が認容されました。判決は、取締役は会社が安全配慮義務を遵守する体制を整えるべき注意義務を負っていると述べた上で、本件では、代表取締役は、業績向上を目指す余り、社員の長時間労働や上司によるパワハラ等を防止するための適切な労務管理ができる体制を何ら採っていなかったと非難しました。

そもそも、取締役等の会社役員がその任務を懈怠した場合、会社に対する損害賠償責任(会社法423条)とその他の者(「第三者」)に対する損害賠償責任(会社法429条)を問われる可能性があります。後者の取締役等の第三者に対する損害賠償責任は、取締役等がその任務を怠っていることについて「悪意」(=知っていたこと)又は「重過失」(=わずかな注意さえすれば、たやすく予見することができるのに、漫然とこれを見逃したり、著しく注意が欠けたりしていたこと)が立証されれば成立します。加害の結果についての故意又は過失の立証が求められる一般の不法行為責任よりも、原告の立証責任が軽いのです。

取締役が損害賠償請求で訴えられる場合、通常、法人である会社も訴えられますので、たとえ敗訴したとしても、会社と取締役それぞれの債務は不真正連帯という関係になり、会社が賠償をすれば、取締役個人の財産から賠償する必要はないと高を括っている向きもあるかもしれません。しかし、その考えは軽率です。これからは、会社が、会社に対する取締役の損害賠償責任(会社法423条)を追及するようになるでしょう。経営陣が刷新されたり、企業買収などによって会社オーナーが変わったりすれば、その可能性が十分にあります。

会社自身が取締役に対して損害賠償請求しない場合には、株主が会社のために、取締役に対して訴えを提起することができる制度があります(会社法847条)。いわゆる株主代表訴訟です。実際、平成28年9月には、肥後銀行で発生した過労自殺事件について株主代表訴訟が提起され、現在も係属中です。

今後は益々、過労死等が発生すれば、その防止のために取締役一人ひとりは何をしていたのか、個人としての認識と行動を問われることになるでしょう。

4 安全配慮義務の行為規範化

過労死等について民事賠償責任の根拠となる安全配慮義務の定義は、必ずしも一義的ではなく、裁判所は、事案の性質に応じて、より広く、様々な表現でその義務内容を確定しようと試みてきました。例えば、これからは“第一次”と言われるであろう、かつての電通事件で、最高裁平成12年3月24日判決は、「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」と判示しました。

ところが、その後、判例法理に沿って立法された労働契約法5条(平成20年施行)は、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」という極めてシンプルな定めになりました。これでは判例法理のすべてをカバーしていません。

そこで、三柴丈典近畿大学教授は、安全配慮義務に関する判例の最大公約数を、①「対象者の安全・衛生」への②「実質的な影響可能性(特に支配・管理可能性)を持つ者」が、災害疾病にかかる③「予見可能性」に基づく④「結果回避可能性」の存在を前提に、⑤「当該結果回避のための手続ないし最善の注意を尽くす」義務と整理しています。安全配慮義務は、そもそも、損害賠償責任(過失責任)の有無を判断する裁判規範として形成されたため、どうしても、このように、現在から過去の状態を遡って評価する表現になってしまうのです。

安全配慮義務を行為規範(使用者が具体的に何をすれば責任を免れることができるか)として表現することができれば、取締役が果たすべき任務も明確になり、それを目指して努力をし易くなるはずです。

この点、前出三柴教授は、近著「使用者の健康・安全配慮義務」(「講座・労働法の再生 第3巻(労働条件論の課題)」(日本評論社・2017年6月)所収)において、安衛法の趣旨を反映させて安全配慮義務を再定義されました。この新しい定義は、安全配慮義務の行為規範化という意義も有していると思われます。

次回(最終回)は、引き続き、この新しい安全配慮義務の定義について紹介しつつ、改正障害者雇用促進法による合理的配慮提供義務が安全配慮義務に及ぼす影響にも触れながら、「健康経営」の取り組みと企業・役員の法的責任の関係を考えていきたいと思います。

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本稿における見解は、筆者個人限りのものであり、所属する法律事務所を代表するものではないことをご承知いただければ幸いです。

【参考文献】
●ストレス関連疾患予防センターについて:同センターのホームページ
http://www.uoeh-u.ac.jp/facilities/stress.html

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