人事労務戦略としての健康経営【第2回】

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人事労務戦略としての「健康経営」(2)

  (初出:「ビジネスガイド」(日本法令)2016年11月号)

弁護士 小島健一

 今回は、企業が「健康経営」を推進するにあたって留意したい2つの視点を提示します。①健康情報に関する従業員のプライバシーと自己決定を重視すること、そして、②疾病や障害を持つ従業員の組織への貢献を期待することです。

 前者については、ストレスチェック制度における労働安全衛生法のプライバシーに対する考え方と改正個人情報保護法により設けられた「要配慮個人情報」の特則が考察の端緒となります。後者については、改正障害者雇用促進法による合理的配慮提供の義務づけ、とりわけ、近年の人事労務担当者や職場管理者を悩ませる「発達障害」の特性がある社員の戦力化を取り上げます。

 これらの視点が、社員全体の生産性を高めることを目的とする「健康経営」の推進となぜ関わるのか? それは、上記2つの視点が、社員の「心理的安全」を醸成し、従業員の生産性を引き上げる鍵となる「対話」を活性化するものだからです。

1 従業員のプライバシーと自己決定を重視すること

(1)ストレスチェック制度におけるプライバシーに対する考え方

 健康診断とストレスチェックは、よく似ているようで、正反対のところがあります。それは、その結果について、健康診断の場合は、事業主が当然に知ることになっているのに対して、ストレスチェックの場合は、従業員の同意がなければ事業主は絶対に知ってはならない、という点です。

 これまでの労働安全衛生法は、事業主が労働者の健康について、悪く言えば“お節介を焼く”ことを求めてきました。労働者の健康診断の結果は、労働者の同意を得ることなく、医師等から事業主に直接提供される仕組みがとられてきました。その根拠は、健康診断とその事後措置が事業主の義務とされていることから、個人情報保護法上も、第三者提供の制限の例外である「法令に基づく場合」(同法23条1項1号)に該当すると解釈することに求められています。そうであるならば、法定外の健診項目の結果を事業主に提供するためには労働者の同意が必要ですが、実務上、少なくない企業において、健診会場の掲示やウェブサイトにおいて「異議がある人は申し出てください」と告知しておくことによって、黙示の同意があるものとして取り扱い、法定・法定外にかかわらず、全ての健診結果を事業主に提供することが行われています。

 それに対して、ストレスチェックでは、事業主が実施者から検査結果を入手することができるのは、労働者が検査結果の通知を受けた後に事業主への提供に同意した場合に限られます。この同意は、書面または電磁的記録により取得することとされています。したがって、黙示の同意があるものとして取り扱うといった曖昧な同意取得の方法は許されません。

 このように、ストレスチェックでは、労働者のプライバシーへの姿勢が180度転換していることが印象的です。ストレスチェックの結果は、うつ病等の精神疾患があることを示すものではありませんが、誤解や偏見を受けやすい機微な健康情報であることを重視したものです。

(2)改正個人情報保護法による「要配慮個人情報」の特則

 ところで、来年の9月初旬までには施行される改正個人情報保護法により、健康診断の結果を含む労働者の健康情報は、新たに設けられる「要配慮個人情報」(改正後同法2条3項)というカテゴリーに含まれ、個人情報の中でも特別に強く保護されることになります。

 要配慮個人情報には、2つの特則があります。一般的な個人情報であれば、取得の際に本人の同意までは必要とされませんが、要配慮個人情報を取得するためには、原則として、本人の同意が必要になります(改正後同法17条2項)。さらに重要なことは、要配慮個人情報については、第三者提供のためにオプトアウト方式を利用することができなくなることです(改正後23条2項)。

 先述の通り、医師等が法定外の健康診断の結果を事業主に提供することについて労働者の黙示の同意があるものとして取り扱う実務がありますが、これはオプトアウト方式に酷似した手法であるため、改正個人情報保護法が施行された後も果たして通用するか、疑問を拭いきれません。行政がこの点についてどのような立場をとるかは、近く公表される予定のガイドラインを待たなければなりませんが、法定外の健診項目には、肝炎ウィルスの検査等、誤解や偏見を受けやすいとされる健康情報が含まれることがあるため、今後は、労働者のプライバシーと自己決定をより重視する同意取得の方法を検討しなければならないのではないかと思われます。

(3)個人情報保護法による規制の限界

 もっとも、事業主が医師等に委託してその労働者の健康診断を実施する場合、医師等は、事業主が健康診断を実施する目的とは異なる医師等に独自の目的を有しているわけではありません。したがって、医師等と事業主との間における健康情報のやりとりは、事業主の委託に伴うものであるため、そもそも第三者への提供に該当せず、法定・法定外にかかわらず、全ての健診結果を事業主が取得することについて、労働者本人の同意は不要であると解することもできるのです(同法23条4項1号=改正後同法23条5項1号)。

 また、個人情報保護法は、法人単位での情報の取得・利用・提供を規制しており、法人内部での情報の共有・流通については規制していません。

 これらのことから、労働者の健康情報の取扱いについて(人事情報一般にも言えることですが)、個人情報保護法を遵守しているか否かをチェックするだけでは不十分であり、より実質的に、労働者のプライバシーを考慮しなければならないことがわかります。

(4)事業主が労働者の健康情報を活用する要請との調整・止揚

 このように、労働者の健康情報について、プライバシーを重視する要請は高いのですが、それと同時に、事業主は、労働者の健康情報を積極的に取得して、活用する要請もまた、高まっています。

 ご存知の東芝(うつ病)事件最高裁判決(最2小判平26.3.24)は、神経科への通院、診断に係る病名、神経症に適応のある薬剤の処方等の自らの精神的健康(いわゆるメンタルヘルス)に関する情報が、人事考課等に影響し得る事柄として通常は職場において知られたくない性質の情報であり、労働者本人からの積極的な申告が期待し難いことを考慮し、労働者がこのような情報を使用者に申告しなかったとしても、過重な業務が続く中で、時間外超過者健康診断での頭痛・めまい・不眠等の自覚症状の申告、定期健康診断の問診での憂鬱な気分等の申告、同僚や上司による労働者本人の体調不良への「気付き」があったこと等から、会社は業務軽減等の措置をとることが可能であったとして、労働者からの安全配慮義務違反等に基づく損害賠償請求につき、過失相殺を認めませんでした。

 このように、会社は、労働者の健康情報について、そのプライバシーを尊重しつつも、労働者の健康確保のために、積極的に収集して活用しなければならない、という相対立する2つの要請を調整し、さらに、労使双方の利益のために「止揚」しなければならない、という課題に直面しています。

 そのためには、会社は、労働者の健康情報の使用目的や必要性について、労働者に十分に説明し、労働者本人は、健康情報の開示のメリットとリスクを認識したうえで、自由な意志決定として、これに同意するプロセスが重要となります。このような、健康情報をめぐる労使間の「対話」を経ることにより、労使間の信頼関係、「風通しの良い」職場環境は、さらに醸成されていくことになるはずです。

 このように考えると、明示の同意、黙示の同意、さらには、就業規則等の周知による包括的同意(同意擬制)のいずれであるかという同意の形式、さらに、場合によっては、同意取得を試みた結果として最終的に同意を得られたのか否かさえも、決定的に重要とまでは言えないかもしれません。むしろ、同意の前提となる情報をどれだけ本音ベースで提供するかという「透明性」、それでも疑問や不安を持つ労働者に真摯に対応して納得を得る努力をする「実質性」が、会社側に求められていると思われます。

  これに関連し、会社は、労働者の健康情報を、単に労働者本人の健康の維持・増進のためだけではなく、労働者の配置転換や職務付与、さらには、人事考課や賃金等の処遇の決定に利用している実態があるのではないでしょうか。労働者の健康状態が、職務適性や職務遂行能力に影響し得る以上、そのような利用実態が直ちに不当であるとは言い難いですが、会社が労働者の健康情報を入手する機会やチャネルは多岐にわたるため、疑心暗鬼をぬぐい難い労働者もいるでしょう。

 さらに、「健康経営」を推進する会社の中には、健康診断の受診の有無を賞与の金額に反映させたり、健康増進のための運動や生活習慣、さらには、健康診断の結果である健診項目の数値に基づき特別なインセンティブを支給したりするところも現れています。このような健康情報の利用は、そもそも労働安全衛生法に基づく健康診断の目的を超えている可能性があると思われます。

 したがって、今後は、労使双方に無自覚に健康情報を流通させるのではなく、健康情報の利用目的、管理責任者、共有範囲、流通の方法(生データではなく必要な程度に加工すること)等を整理し、ルールを明確にすることが、重要になってくるものと思われます。

2 疾病や障害を持つ従業員の組織への貢献を期待すること

(1)改正障害者雇用促進法による合理的配慮提供の義務づけ

 平成25年に改正された障害者雇用促進法は、事業主に、①(i)労働者の募集・採用の際に障害者に非障害者と均等な機会を与えること、(ii)採用した障害者を賃金その他の処遇において障害を理由とする不当な差別的取扱いをしてはならないこと(同法34、35条等)、②(i)障害者の募集・採用の際、また、(ii)採用した障害者について、均等な機会の確保や能力発揮の支障となっている事情を改善するために必要な措置をとること(同法36条の2、3等)を義務づけました。それぞれの義務は、「差別の禁止」(上記①)と「合理的配慮の提供(reasonable accommodation)」(上記②)という言葉で一括りに表現されます。これらの改正箇所は、今年4月から施行されています。

 障害者雇用促進法は、従来から、事業主が雇用する障害者の人数が、「法定雇用率」を満たす水準を超えた場合には、国から事業主に「調整金」を支払い、逆に、下回った場合には、事業主から国に「納付金」を支払わせる、という仕組みによって、事業主がより多くの障害者を雇うように促してきました(同法第3章)。この制度は、障害者手帳を持っている障害者を対象にしており、それは今回の改正でも変更はありませんが、新たに導入された差別の禁止と合理的配慮の提供については、障害者手帳を取得していない方であっても、「長期にわたり、職業生活に相当の制限を受ける者」という「障害者」の定義(同法2条1号)に該当すれば、対象になります。

 どの程度の期間にわたってどの程度の深刻さで仕事に支障があればこの「障害者」の定義に該当するのかは、具体的に定められていませんから、手帳を取得していない場合、そもそも法による保護の対象であるか否かの判断が難しく、事業主と労働者との間で意見の相違が生じる可能性がありますが、従来から、傷病に罹患したり、その後遺症を有したりする労働者について事業主に配慮を求める裁判例はありましたので、これは、障害者・非障害者を問わない普遍性のある要請とも考えられます。

(2)合理的配慮の提供には「対話」が必要

 合理的配慮の提供は、事業主からの一方的な配慮の押し付けでは「合理的」とは認められず、障害者本人の障害の特性にマッチし、その配慮があれば事業主が求める職務遂行能力を発揮できるものでなければなりません。一方、事業主は、その配慮が「過度の負担」となる場合には、提供義務を免れます。これらの双方の事情は、十分なコミュニケーションなしには、互いに認識・理解することができません。

 ところが、身体障害に比べて、知的障害、とりわけ精神障害の場合には、障害によりコミュニケーションが困難となる度合いが強く、さらに、精神障害の場合、障害による就労上の困難が日々変化するという特徴があります。

 したがって、特に精神障害者に対する合理的配慮の提供にあたっては、事業主と障害者との間の「対話」を充実させることが重要になると言われています。

(3)「発達障害」の特性がある社員の戦力化

 近年、アスペルガー症候群等の発達障害であることが大人になってから判明する例が増えていると言われています。メンタル不調の原因として、発達障害の特性ゆえに職場や職務への適応にストレスを抱えている場合がある、とも指摘されています。

 平成25年の法改正によって、発達障害の方も障害者雇用促進法が適用される「障害者」であることが、明確にされましたから(同法2条)、発達障害の労働者に対しても合理的配慮を提供しなければなりません。

 コミュニケーションを苦手とすることが多い発達障害の方に対する合理的配慮とは何でしょうか? もちろん、本人の自己理解と努力も求められますが、事業主の側、実際には、上司や指導担当者による分かりやすい、明確かつ具体的なコミュニケーションが重要となります。

3 「対話」が活性化する「健康経営」とは?

(1)Googleの成功チーム研究

 今年2月のニューヨークタイムスの記事がネット上で話題になりましたので、ご存知の方も多いかと思いますが、Googleは、社内の180ものチームを分析し、成功しているチームに共通するパターンを抽出しようとしましたが、当初は目立ったパターンを抽出することができず、試行錯誤の末に辿り着いたのは、「心理的安全(psychological safety)」だったそうです。では、どのようにしたら「心理的安全」のあるチームになるのでしょうか? そのヒントになったのが、あるミドル・マネージャーが思わず自分がステージ4のがんに罹患していることをチーム内で告白したところ、チームの雰囲気が劇的に変わり、率直な議論ができるようになったというエピソードだったそうです。

 人は誰でも、多かれ少なかれ、仕事用の仮面(別の人格)と本来の自分とを使い分けており、それがプライバシーを保護する所以でもあるのですが、社員1人ひとりが会社で本来の自分をさらけ出すことへの恐怖を少しでも乗り越えることができれば、職場はより活性化します。そのためには、本来の自分を表現したとしても受け入れられる、という他者への共感力を互いに醸成することがポイントだそうです。正にこれは、「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン」の取組みが目指すところです。

(2)「心理的安全」を醸成する

 「健康経営」の取組みには、経営者のコミットメントが必須であると言われ、実際、「健康経営」に積極的に取り組む企業は、トップが本気で社員に語り掛け、社員との「対話」を大切にすることによって、社員の意識改革に成功しています。

 この「対話」により職場を活性化し、「健康経営」による生産性向上を実現するためには、逆説的ですが、①健康情報に関する従業員のプライバシーと自己決定を重視すること、そして、②疾病や障害を持つ従業員の組織への貢献を期待することにより、「心理的安全」を醸成することが鍵となります。

 これらの視点を欠かさなければ、「健康経営」が、職場を過度に医療化することも、健康至上主義に陥ることも、懸念する必要はないと信じています。

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 本稿における見解は、筆者個人限りのものであり、所属する法律事務所を代表するものではないことをご承知いただければ幸いです。

【参考文献等】
・「講座・産業保健と法①―職場でのメンタルヘルス情報の取扱いと法」三柴丈典(近畿大学法学部教授):「産業医学ジャーナル」2016年11月号所収予定
・What Google Learned From Its Quest to Build the Perfect Team – The New York Times (FEB. 25, 2016)
http://www.nytimes.com/2016/02/28/magazine/what-google-learned-from-its-quest-to-build-the-perfect-team.html

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