3.11の翌週

 3.11は金曜日だった。当日帰宅せず土曜日帰宅となった職員も多かったが、それも全員帰れたのは夕方ごろになったと記憶している。翌週は、倉庫から非常用の食料や飲料水を全て会議室に搬入して、その中で業務や震災に関わる会議をやった。私はほとんど自席におらず、一日中懇談室のテレビを見て過ごした。福島原発が抜き差しならない状態になったら、一刻も早く職員、できればその家族も避難させなければならないと思ったからだ。そういう状態になれば、道路も鉄道も大混乱になってしまうことは確実だから、他にさきがけることが必須と考えていた。幸いそういう状態にはならなかった。ただ、テレビ中継中リポーターの背後で水素爆発が起こったのは驚いた。10年前の9.11。テレビ中継中に2機目が突っ込んだ映像が浮かんだ。

鳥飼総合法律事務所 弁護士 奈良正哉

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